骨とともに(2)

どこにも痛みがなく 生活できることが一番で

きっとそういうのは、美味しいものを食べなくても幸せなのだと思います。

そういう生活を失ったとき、知ることとなるのです。

骨が喉にある。ただそれだけで日々の暮らしが不安でいっぱいです。

さっきこういう風に飲み込んで痛みがあった

同じように飲み込んだのに痛みがなかった

まるで骨に弄ばれているようにも思います。

特にあくびをするときに顎の舌の付け根のあたりがチクリチクリとするんです。

交通事故のリスクと同じように、これからの私(たち)は

骨が喉に突き刺さるリスクを考えないといけません。

イワシフライでこんな思いをするなんて。

文献にもあったように咀嚼ができなくなったり食道や気管がせまくなってくる年齢になると

不意打ちでやってきます。正月の餅も”怖いもの”の一つになってくることでしょう。

週末になっても特に変わりなく どこかに骨はいらっしゃいます。

生理痛がましになるツボ、頭痛がおさまるツボ、ありますよね。

骨が取れるツボないんですか?ほんとにないんですか? 藁をもつかむ気持ちです。

火曜日 派遣会社の営業の人に会いました。耳鼻科へ行く連絡をしたので骨のことは知ってます。

彼女も骨がささり(アジの南蛮漬け)耳鼻科で5時間格闘したらしいです。

恐怖からあまりにもおえっおえってなるので先生が時間をあけてもう一度みたいなことをやっていて

そのおえっおえっという筋肉というんですか。その筋肉運動でどうやら骨が抜けたらしく

内視鏡を入れた時にはもうなかったみたいなんです。耳鼻科の先生も異物を出すという機能?があるとかなんとか。

それを聞いて 家で1人で悪阻ごっこ、またの名を拒食症ごっこ。

かなりやりました。その日は疲れて寝て水曜日はもう骨のことは考えるのをよそう。と

おじさんにも骨のその後について話すのをやめました。

木曜日、何をやっても痛くないことに気が付きました。

え、骨抜けた?

でも待てよ、遠くで太鼓の音がする。的な直接チクンではない 痛みは少しあるように

思います。おじさんに話すと、最初からなかったんやって。っていうんですけど

確かにいた。骨はいた。のは自分の体なのでわかってるんです。

7日間はいたので そこからいくら口の中とはいえ傷口もあるはず。それが遠くの太鼓か。

手術の同意書まで考えたこの10日あまり。

死ぬわけじゃあるましとあきらめたこと幾度も。

この経験から より一層まじめに生きようと思いましたし、人にも優しく生きようと思いました。

おなかを壊してトイレに入ったときに、もう悪い事はしませんって思う時のような気持ちです。

そしてくれぐれも、皆さま魚の骨には気を付けてください。

やつらは すぐそばにいます。