8:27 pm
久しぶりです。関心空間に日記を書くのは。
1月の終わりから勤務していたところには
7月でやめて8月から三宮で勤務しています。
三宮での求人数は数も少ない上、時給も安いしあんまり魅力はありません。
今回、時給が良く短期だったので、とりあえず受けてみたら?なんて言われて流されるまま流された。たまには気負わなくてもいいのではとも思ってみた。
同時にもうひとつ三宮の話があって、何なんだろう、2つも珍しいと。
ちらりと頭の中に思うこともあった。
仕事は時給なりに辛くしんどくて面白くも無い。
私のお得意分野は、何にも活かされない。
正社員のオファーを早くからいただいた。いや、もう入社した時からある程度決まっていた。でも、なんかどうなんだろーとふわりと考えていた。
そんななか、母を亡くしました。
本当に突然でした。
朝、メールのやりとりもしたのに。
私はひとりっ子で父も15で亡くして、結婚しましたが離婚して子供もおらず、
本当に1人になってしまいました。
小さい頃からこの現実はいつも考えていたし、
母が高齢になってからは毎日覚悟していました。
おそろしく冷静に対応できたと思います。
同世代より両親は10ぐらい年をとっていますので、
周りに両親を亡くした友達はほとんどいませんし、
みんなそれぞれの今の家族との生活があって、遠くに暮らしていたりして
そりゃ両親のことは考えるけれども元気だし、といったかんじではないでしょうか。
お互いに一人で住んでいたこともあり、毎日朝晩連絡をとっていたし
ずっと2人で生きてきたので、なんでも相談し母と私の関係は、
そりゃケンカも多かったけどかなりべったりだったかもしれません。
美味しいものを食べたら母に食べさせたいと思ったし
美しい景色を観たら母にも見せたいと思ったし。
母は、どう思っていたか分からないけど、私は常に母のことを考えていた日々でした。後悔したく無い、という自己満足だったかもしれません。
前に何かで、田舎の親が今75歳。85歳まで生きるとして年に2回帰るとして
親に会うのはあと、20回。1泊しても40日も一緒にいられない。
ほんとに親との時間なんてそんなものでもうあまり残ってないんです。
みなさん、そんな時間、大事にしてくださいね。
その日から私の生活は、変わりました。
はじめてのことを、次から次へ心が追いつかないままの3日間。
叔父さんが2人助けてくれましたが、何でも1人で決めて、母のことを考えながら、涙が突然出たりはしょっちゅうです。
犬がいてくれて、慰められています。彼女の体温があたたかい。
身の回りのものだけ運んで実家から通勤しており
彼女は昼間1人で過ごさなければならず、私と同じように寒くてこわくてさみしくて、帰ったらべったりそばにいます。
今回のことで、友達からメールや電話、はがきをもらったりして、私と母のことみんな知ってるからこそ、みんなにもとってもショックだったようです。特に中学時代の2人は家に来てくれました。彼女たちは父を亡くした時の同級生であり、そんなこともあるんだろうと思います。
たくさんの人に支えられていて、1人になったけど、1人じゃないな
とも、思いました。みんなの優しさが嬉しかったです。
四十九日、納骨も終えて、あとは私の引越しです。
この実家からは大阪には通うのはちょっと遠いです。
三宮でも遠いと感じるくらいですから。
あの時、三宮勤務になったのは…
今日は誕生日ですが、1人ですし、年末年始も1人です。
現実は現実なので、私は強く前を向いて生きていきます。