11:45 am

さっき仕事のできないヒトが 上司に詰め寄られていた。

『お前は何のために働いてるんだ?』

その人は

『数字を上げるためです』

このヒトが夫だったら 私は悲しい。

 私ならば 『生きていくため』 と言うけれども。

私は学生のときなかなか就職が決まらなかった。

氷河期でもなく バブルがまだ残っているような時代だったのに。

もう 全くもって決まらなかった。

どうにもこうにも 3月にまでなってしまった。

優はたくさんあった。学校推薦もたくさんしてもらった。筆記テストは通った。

面接で落ちた。いつもいつもいつも。地味顔だからかと悩んだ(笑)

そんなときに 学生課の方が

『なんで○○さんは 働くの?』と聞いてきた。

私は 改めてそんなふうに聞かれると 働く意味がよく分からなかったので黙っていた。

ほんとうに分からなかった、おばかさぁんだった。浮かれた学生だった。

『生活のために働くのよ。食べていくために働くのよ。生きていくために働くのよ。』と言われた。

当たり前のことをいえなかった恥ずかしい私。

この日から私は 

生きていくために働いてる を心に、 

(食べたい を胃袋に 苦労 を顔と皺に 笑)

だから問われれば、そう言うのだ。

周りの友達は名の通っている一部上場企業や神戸でも(だけ)有名な会社やらで

コネなどで会社が決まっていたので 会社を選ぶのもそういうかんじで受けていた。

ここのブランドとかそんなかんじで(そんな世代だしと言い訳) 

それが安心だと信じて疑わなかった。

そんな考えをやめてみた。

なら 決まった。 3月25日ぐらいだった。

落とした人事はそんな私の安っぽさをお見通しだったのだ。

社会人になってもちろん生活するために働いたし 

その中にはお洋服や指輪やバックや旅行とか含まれるけど

でもやっぱり生活のために生きるために働いた。というのには変わりない。

今は あまり質問されることはないけれども 逆に質問することもあるし、押し付けがましく言うこともある。

何のために働いているの?働くの?

 

 生きていくために働いてるしぃー。とたとえ語尾を長くしても。 

 そう言いますし そう言って欲しいとも。

上に書いた仕事のできないヒトは、

妻と子の生活のために働いています。というべきではなかったんじゃないかなぁ。

というか そう言うべきでしょう。 もう40も過ぎておいてそれはないでしょう。

あとから 上司と話して この答えにはびっくりした。と言っていた。

目的と手段が ごちゃごちゃだ。たにしてもだ。

会社に 子供が子供を生んでしまい その子供を自分の子としているヒトがいる。

50歳を過ぎているのに子供は3歳だ。

このヒトは 今 必死だ。

今回も会社を辞めなかったし、朝早くから夜遅く12:00を過ぎてまでがんばっている。

このヒトを見ていると その子の(生活の)ために働いている。

と両方の頬から深く刻まれた皺とともに字が浮き出てくる。

今日は今日のために働いています。

明日は明日のために働いています。

私。

地味顔に字が出てますかね、肉に埋もれてゆるゆる文字で(笑)