名古屋に行ったのは お世話になった上司の退職パーティ。

上司はずっと営業畑。営業一筋。

東は仙台、西は広島から 約90人がかけつけました。

とにかく会社が好きで、仕事が好きで、人が好きで、ニンニクの好きな上司。

エピソードとして阪神大震災のとき、家族を置いて医局の先生の誰よりも先に芦屋の大学病院の教授の家に慣れないバイクで大阪から血まみれになってかけつけた人。そんな熱い上司がみんな大好きなんだな、とそう思いました。

私はというと、退職して8年。ちょっとした同窓会気分で参加しました。

でも懐かしい顔を見るたびに 涙が出てきて、1人ナイアガラの滝状態の汚い奴でした。

”美波ー、懐かしいなぁ、元気かー”とみんなに言われ、あのころの神戸営業所の懐かしい話に花が咲きました。

太った人、はげた人、怒ってばっかりの顔だった支店長がほっとした顔になってたり、

みんなそれぞれ立派になって同期のはげの吉田も面積が広くなり貫禄もでてました。

60歳まで会社に勤めることが出来ない今、出向先で定年を迎えたりする今、こういうのは珍しいのかもなと思いました。

私が辞めてから日本企業と合併したり 同じドイツの会社と合併し来年には名前が変わります。

こういう大変な時期に定年を迎えることを うらやましいという祝辞をする人もいました。

そうかもしれません。でも誰かが、私達は私達でいいじゃないか、ずっと◎◎で、と言い名前が変わってもそういう精神が必要なんだと思いました。当時も私は隣りでMRを見ているだけでしたがものすごく憧れたし、昔以上にMRという仕事が好きなみんなを見ていてものすごくかっこいいと思ったし、あぁ私はこの会社が好きだなぁと改めて思いました。

私と同世代の人が、オレは60になったらあんなに元気かなぁ。と主役の上司を見て言っているのを耳にしました。

確かに上司は、顔も趣味の畑仕事で真っ黒に焼け、なんだか生き生きつやつやとしていてすごく若く見えました。時代の流れにもまれてきた団塊の世代の特徴でしょうか。続いて・・・もしかしたら60までに死んどるかもしれん。と冗談ぽく。バブル期のへなちょこな私達は、案外そうなのかもしれません。

とにかく涙、涙の1日は過ぎていきました。

 

 写真は 名古屋のテレビ塔

涙の画像